まぁ、今も昔も学校文化というものは大して変わりませんや。


以下引用 Exsist music  http://01.members.goo.ne.jp/home/after-carnival/cd/0.html

TM NETWORKが復活したとき、往年のファンだったぼくとしては「やった!」と思うよりもまず、「誰も復活なんざ望んじゃいねーよ」と思ったものだ。5,6年で復活するくらいだったら最初から解散しなきゃいいのであって、大体TMの奴らは仲が良いのだから解散する積極的な理由など無かったのである。
まさか他のバンドはこんな真似はしないだろうと思っていたら何かACCESSが復活したり、さっき調べてみたら2000年にはREBECCAも復活していたのであった。どいつもこいつも節操がない。
レベッカはボーカルのNOKKO及びに野郎どもが3人くらいのバンドで1984年にデビューし、1990年に解散した。確か解散理由はバンド内の喧嘩だったと思う。一応BOOWYと並び称された80年代を代表するロックバンドということになっているが、BOOWYのほうがその後のWANDSだとかT-BOLANなんかに大きな影響を与えた先駆的なバンドだったのに対し、レベッカは音楽シーンに対してどういう影響があったのかはいまいち分からない(個人的にはシンディ・ローパーの影響を受けているのではないかと思っているのだが)。
80年代の音楽シーンと言えば、その後のビジュアル系の先駆となった聖飢魔II(異論はあると思う。ビジュアル系の祖先はXではないかとか。しかしKISSから始めるとしたら日本ではやっぱ聖飢魔IIじゃないかな)とか、テクノではYMOとか、パンクではブルーハーツなんかがいたりして、まあ多様化が進んでいたのだと思う。

しかしぼくがレベッカに注目するのはそういったJPOPの先駆的バンドだったからではない。
レベッカが良いのは、やはり尾崎豊や徳永英明や後発のプリンセスプリンセスやその他の同時代のバンドやら歌手と同じように、80年代という時代にどうしようもなく規定されてしまうというその逃れ難さにある。当時は不良全盛の時代であり、若者の時代であり、ディスコ(ジュリアナ東京以前、クラブと言われる前の頃である)にはチークタイムがあり、ソリの入ったリーゼントに短ラン・ボンタンがカッコよく、少年漫画誌には必ず不良漫画が一作は連載され、ブラックエンペラーのような暴走族が時代のシンボルであった。そしてそのような時代はゆっくりとしかし確実に死につつあったし、そういった時代と文化の担い手であった若者も間違いなく大人になる日がくるわけで、そりゃ尾崎は自殺するし、主だったバンドも解散するというものである。
だから勢いレベッカの歌で歌われる少女は反社会的で享楽的でそしてどこか閉塞した不良少女なのである。例えば「LOVE IS CASH」とか実にストレートなタイトルの曲もあるし、「CHEAP HIPPIES」(このタイトルもヒドイものである。チープなヒッピーって)という曲の歌詞はこんなである。

ブルジョアの彼のママとは気の合うふりしていたのに
ピンクの網タイツをどうしてもやめろなんて
言われちゃやってられないわ


正直ぼくもピンクの網タイツは止めたほうがいいと思うのだけれど、それはまあ個人の自由だからいいとしても、ここに見えるPTA的大人の「彼のママ」と理解されない不良少女の対比は何なのだろうか。このあとの歌詞は「ハイスクールじゃ教えてくれない」「先生よりあいまいな世の中にとまどう」と続くのだけれど、このようなレベッカの歌詞に横溢しているのは安っぽい横文字の多用と大人の無理解に対する不信感である。


引用終わり


鋭い視点からの考察だったので引用せずにいられませんでした。

この考察に2007年現在の風潮を加えてみると、一つの考察が得られる。


80年の「バカ」をして反抗するスタイル(レベッカのパフォーマンスもスーパー・おバカだった)は、

現代の本当の「バカ」(オレンジレンジから気志團まで)の温床であったのではないか。


ロック=階級闘争、すなわちイギリスのアンダー・ミドルのコンプレックスが日本に表面的にしか入ってこなかった結果、90年代にヒップホップが入ることで批判精神はますます衰弱、バカなふりをしていた若者たちは本当のバカを生む文化を形成してしまったのだと思う。(なんのことやら)